みつのブログ

気ままに書いてます。

刺激的な人生

こないだ、ある戦争映画を見た。
映画の中で、主人公の同僚が
 
俺は戦争が好きだ。生きていることを実感出来るからたまらない。
 
という風なことを言うシーンがあったのだが、それが印象に残った。
 
自分は今生きている。それは頭ではわかっている。だけど生きていることを“感じる”ことってどのくらいあるだろう?
 
戦争だと、自分の命を狙ってる奴がいる。自分も誰かの命を狙っている。
銃で撃たれたら血が出る。叫ぶ。そして魂は体から離れる。つまりは死ぬ。
死んだ人間を目の当りにしたら、否が応でも自分が生きていることを実感させられる。
 
俺は戦争なんて生で見たこと無いけど、このセリフを聴いてなるほど、と思った。
 
よく、毎日毎日なんの刺激もなくて退屈だ。
 
なんて人がいるが、ここで“刺激”と言われているのは、つまりは“生きていることを実感する”ことだと思う。
 
例えば…セックスなんてそうだ。
異性と交わっていると、肉体的にも精神的にも相手の存在を感じるし、相手も、こちらの存在を感じている。
自分が人間として…もっと言えば、俺の場合だと、自分が男としてこの世に存在していることを強く感じる。
だから、セックスは刺激的なのだと思う。
 
あと、大きな買物…例えば車とか買ったら、お店の人はちやほやしてくるし、周りの人たちも気にしてくるから、ああ、自分はこの世に存在してるんだな、と実感するし、絶叫マシンに乗って大声をあげても生きていることを実感できる。生きているからこそ声を出すことが出来るわけだから…。
 
セックス、大きな買物、成功、旅行…これらのことをすると、大きな刺激を…つまりは生きていると実感することが出来る。
 
だから、大抵の人の言う刺激とは、このようなものを指す場合が多い。
 
だけど、生きていることを実感したいなら、これら以外でもいくらでも方法はある。
 
例えば、夜空の星を見上げる。風が葉を揺らす音を聞く。潮騒を聴きながら砂浜を歩く。などだ。
 
生きているからこそ目で見ることが出来、耳で聞くことが出来、自分の脚で歩ける。…ま、正確に言えば“健康でいれば”ということになるんだけど。
 
もっと究極的な事を言えば、呼吸だってそうだ。てか、呼吸こそ、“生”そのものと言っても過言ではない。
 
呼吸がどうして刺激的かというと、太陽系の惑星の中で、酸素をこんなにふくむ大気でおおわれているのは地球だけだからだ。
そんな地球の大気を吸うのは、とても刺激的なことだ。
 
こんなことを言うと、屁理屈を言うなと怒られたり、バカにされてりすることが多いけど、そんな人たちに“じゃあ、あなたにとって人生の刺激ってなんですか?”と聴いても、多分明確な答えは出せないだろう。
 
呼吸すること、自分の脚で歩けること、自分の目で見ること、自分の耳で聞くこと、風や日差しや水の温度を感じること…それを当たり前と思うか、それともそれを刺激的だと思うか?
 
からしたら、呼吸することって、宝くじが当たる事とは比べ物にならないくらい“刺激的”なことだと思う。
 
そんなことを言ってたらキリがない。とすれば、俺の人生はキリがないくらい刺激的ってことか(笑)
哲学とか、自然科学とかに触れてると、この世は刺激的なことだらけなことに気付く。
 
そーいや別の作品で
 
痛いのは生きているからだ。だからこの痛みとも向き合える。
 
というセリフがあったけど、これもまた印象に残っている。
 
五感で感じることが出来るのも、喜怒哀楽を感じるのも、すべては生きているからだ。
 
自分の日常を退屈だと思う人は、人と比べることばかり考えているからそう思ってしまうのではないだろうか?と個人敵には思う。
 
刺激とは、生きていることを実感すること。
自分が今こうして生きている理由を並べてみると、日常が実は刺激に満ちていることに気付けると、個人的には思う。