みつのブログ

気ままに書いてます。

美醜

あるところに雌猫がおりました。
雌猫はある日、美しい青年を見て恋をしました。
そして愛の女神アプロディーテに祈りました。
私を人間の女に変えてください。あの人と一緒になれるように…。

と…。
アプロディーテはこの願いを聞き入れ、雌猫を美しい娘に変えました。

その青年は、娘…になった雌猫…を気に入り、二人は結婚することになりました。

2人が結婚式の準備をしている時、アプロディーテは雌猫が本当に人間になったかを確かめようと思い、娘(雌猫)の前に一匹のネズミを放しました。
すると娘(雌猫)は、ネズミを追いかけまわしました。
習性までは人間になってなかったのです。
怒ったアプロディーテは娘を元に戻しました。

有名なイソップ童話の物語だが…。
そうなんだよね。
いくら見た目を取り繕っても、中身が伴ってないと意味が無いんだよね。
でも、この物語に出てくる青年のように、見た目だけで人を判断する人は多い…特に男性には。
見た目だけで人を選ぶ愚かさも、この物語からは伝わってくる。

そーいやある賢人は、
醜い者はその醜さを補うために、美しい者はその美しさを損なわないために徳を高めるべきである。

と言ってるけど、ホントその通りだと思う。

見た目を取り繕ったり、豪華なもので飾り立てたりしたって、“すごいすごい”ともてはやされることはあっても…ていうか…それだけだ。

そういう俺も、かつては物でアピールしようとしていた時期があった。
自分の車はこんなにすごい。
だの
自分のカメラはこんなにすごい。
だのと…。

でも、自分の持ち物のすごさをアピールするのは、自分自身には何もない。

とアピールしてるのと同じだということに、かなり時が経ってから気付いた。

自分が好きでそれを所有して大事にするのは素晴らしい事だけど、人に良く見られたくてそれを所有するのは、とてもみっともないことだと、個人的には思う。

今の俺は、自分の“言葉”で自分を印象付けることが出来る。

それは今まで、素晴らしい人たちとの出会いや、素晴らしい作品、素晴らしいアイテムによって経験できたことによる。

誰かに自分のすごさを見せつけようとしていた時は、誰の印象にも残らなかったけど、自然に自分のことが話せるようになって、自分のことを覚えてくれる人が増えた。

醜い人は、その醜さを補うために徳を高めるべき。

自分の経験からしてもそう思う。