過去は変えられないけど…
今日は天気が良かったのでドライブに出かけた。
今日も音楽を聴きながら運転したのだが、今日聴いた曲の中で
どれくらいの愛なら どれくらいの罪なら どれくらいの涙で消える?
という歌詞があって、それが心に留まった。
どんなに涙を流しても、実際に起きたことを起きなかった事には出来ないし、実際にやってしまったことをやらなかった事には出来ないし、実行できなかったことを実行したことには出来ないし…実際にそこにいた人をいなかったことには出来ない…。
どんなに涙を流しても、消せやしない。
そんなことは言うまでも無い。
だけど…こんな問いかけをしたくなる人の気持ちはよくわかる…し、この問いかけが無意味だとも思わない。
過去を変えることはできないけど、過去に対する捉え方を変えることは出来るから…。
涙を流すことによって、過去と向き合うことによって変えられるものはあると思うから…。
過去と向き合うことと、過去に捕われることは全然違うことだ。
自分の過去を、自分なりに納得して受け入れたり乗り越えたりしようとするなら、過去としっかり向き合う事はとても大事な事だと思う。
でないと、また同じことを繰り返してしまうかも知れない。
とはいえ、過去と…もっと言えば自分自身と向き合うのは、とても勇気の要る事だ。
例えば、今ある自分と理想の自分を比べたりすると、絶望感に苛まれる人だっているかも知れない。
自分のことを、自分自身で納得して、自分自身で受け入れるのは、そう簡単な事ではない。
だからつい、自分の人生の価値を、周りの評価に依存してしまう人が多い。
例えば、“幸せ”って人によってそれぞれ違うはずなのに、ある一つの幸せの“モデルケース”みたいなものを求めてる人もいる。
そんな周りの“物差し”に自分を合わせていくのはとても苦しいことだ。
そうならないためにも、自分自身と向き合うことはとても大事だと思う。
過去と向き合うのは…自分自身と向き合うのは、過去を変えるためでは無くて、未来を変えるため。
そんなことを思いながら、今日は車を走らせた。