みつのブログ

気ままに書いてます。

自由とか平和とか

ジョン・スタインベックが脚本を手掛けた映画、革命児サパタで、自由と平和について語られるシーンがある。
 
自由とは?食べられること。
 
平和とは?安らかに眠れること。
 
この明確な言い方にしびれたのを覚えている。
 
自由とか、平和とか、愛とか、幸せとか、それがなんなのか?なんとなくわかってるつもりではいるけど、結局は分かってない人がなんと多い事か…。
いや、わかってないだけならまだいい。それらについて考えることもしなければ、語り合うことも無い。
 
愛だの平和だのという言葉を口にしただけで“イタイ奴”に思われかねない。
からしたら、有名人の収入だの不倫だのについて語る人の方がよっぽど“イタイ”のだが、そんなことを会社などで口にしたら生きてはいけない(笑)
 
そんなわけで、どうでもいいことについてはみんなよく知ってるけど、本当に大事な事については知ろうとしないどころか、考えようともしない。
それじゃあ、幸せな人生は送れないよな~と思う。
 
少なくとも俺は、それらについて少しは考えるようにしている。
 
俺にとって“愛”とはつまり、その人とつながっていたいと思う事。だ。
 
人を愛するということは、その人とつながっていたい。と思う事。
 
愛する人とつながっていたいから、デートしたり、プレゼントしたり、語り合ったりするわけでし、友達とつながっていたいから遊びに行く約束や飲みに行く約束をしたりメールを送ったりするわけだし、恩師や先輩などお世話になった人とつながっていたいから年賀状や暑中お見舞いを出したり…。
 
愛するということは、私はあなたとつながっていたい、と思うことで、愛されるということは、私はあなたとつながっていたい。と思われること。だと俺は思う。
 
最近はここらあたりをごっちゃにしてる場面を多々見かける。
人気があることと、愛されることは、当たり前だけど同じじゃない。
 
ちなみに、
 
あいつとつながっていたらたくさん金が回ってくるからつながっていたい。
 
と思うのは“愛”ではない。
その場合、つながっていたいのは“お金”であって“その人”ではない。
 
本当に人を愛したら、その人がこの世にいてもあの世にいてもつながっていたいと思うもの。
だから、その人の言葉や、その人の教えや、その人との思い出は、その人がこの世にいなくなってもずっと心の中に残り続ける。
 
それと、例えばテレビに出てるアーティストでも、実際に会えなくてもその人の歌が好きで、その人とつながっていたいからCDを買ったりするわけだし…。
 
物でもそうだよね。
人気があるから。皆に自慢できるから。という理由で買ったものって大事にしないけど、自分が本当に好きで買った物って大事にするし、ずっと使い続けようって思うし、いつか壊れてしまったり手放すときが来ても、素敵な思い出はたくさん残る。
 
人にせよ、物にせよ、趣味にせよ、そりゃ物理的な価値とかもあるんだろうけど、本当の意味での価値って素敵な思い出が残ったかどうかで決まるんじゃないかな~と俺としては思う。
 
少なくとも俺は、自分がつながっていたいと思う人とはたくさん素敵な思い出があるし、自分が好きで選んだ物にもとても素敵な思い出がある。
 
食べられることが“自由”なら、俺には自由がある。
 
安らかに眠れることが“平和”なら、俺には平和がある。
 
つながっていたいと思うことが愛なら、俺には“愛”がある。
 
そう考えたら、俺は幸せ者なのかもね☆彡
ま、“幸せ”については、まだ探求中なんだけど。
でも、こういうことを考える時間があるってことが、もしかしたら“幸せ”なのかもね。
 
それが正解かどうかってことよりも、自分なりの答えなり考えなりを持ってる事の方が大切だと俺は思う。
 
だから、考えることって大事だと思うんだよね。
 
愛とか幸せとかをわかってる“つもり”で生きてる人を見てると、心底そう思う。